なぜ「無生殖主義」なのか
「反出生主義」という言葉がもうあるのに、どうして新しい言葉が必要なの?
そう思われる方は多いことでしょう。
ここでは、我々が「無生殖主義」という言葉を使い始めた理由を解説します。
反出生主義は、特に正当な理由もなく、しばしばヒトだけに適用されるものとして扱われています。
我々には、反出生主義をヒトだけに適用して他の有感生物の苦痛を無視することが正当かどうかについて不毛な議論をしている時間はありません。
そこで我々は、初めから反種差別的に定義の固まった「無生殖主義」という言葉を使って、苦痛を経験し得る全てのものの生成に等しく抗います。森岡正博教授の著作『生まれてこないほうが良かったのか?――生命の哲学へ!』(2020)の出版、および氏のメディア出演によって、反出生主義という語の日本における認知度が飛躍的に向上した一方で、倫理規範としての反出生主義の進歩は誤った定義の広がりに阻害されています。
氏は同書のまえがきで、反出生主義を「出産否定」と「誕生否定」から成るものとし、前者を「人間を新たに生み出すことを否定する思想」(14頁)、後者を「自分が生まれてきたことを否定する思想」(14頁)としています。
前者は少なくとも倫理規範の形をしており、本来の反出生主義の定義に近いものです。
しかし後者は個人的な嘆きと捉えられかねないものであり、明らかに反出生主義の領域を外れています。
反出生主義を出産否定と誕生否定から成るものとするこの定義の仕方の影響で、「反出生主義」という語の Google 検索結果の上位には、「反出生主義は『生まれなければよかったのに』という嘆きを乗り越える自己満足プロジェクトであり、真剣に扱う価値はない」という誤解を助長する情報ばかりが並び、そのうえ Wikipedia ページでの「反出生主義」の定義もます。
こうなってしまった以上、誕生否定は「反出生主義」という語から撤退しろ、と要求することは、正当ではあっても現実的ではありません。
そこで、純粋な倫理規範としての反出生主義につける別名として、我々は「無生殖主義」を使います。
いかに反出生主義が正しいものであろうとも、名前が作り出す印象で「何となくカルト宗教っぽい」「過激なテロ思想っぽい」と思われてしまっては支持は広がらず、目的は達成できません。
一部の反出生主義者は、「反」という字が生み出すこのようなネガティブな印象を憂い、新語の必要性を訴えます。
「無生殖主義」という語は、そのような反出生主義者が危惧する事態を回避するのに役立つ可能性があります。