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  • 執筆者の写真穂積浅葱|Asagi Hozumi

【会員コラム】穂積浅葱(1)ABEMA Prime「『生まれなければよかった』反出生主義ってどんな思想?共感する背景に何が?」への反応

 
寄稿者

穂積浅葱(ほづみ・あさぎ)

会員番号:2

正会員


2021年に無生殖協会を共同設立し、以来代表を務める。

功利主義に懐疑的な立場を取り、リチャード・D・ライダー氏の「苦痛主義」(painism)により大きな正当性を見出す。

好きなレーシングドライバーはF1のオスカー・ピアストリ。

 

ABEMAが2回目の「反出生主義」特集をしました(※1)。

前回はなんと3年も前だったそうです。

時間の流れは速いものですね。

必要な変化を早く起こさないと、あっという間に我々活動家の人生は終わってしまいそうです。


※1:我々は『無生殖主義』という別名を使って問題を避けようとする立場をとりますが、本稿では特集のテーマをそのまま『反出生主義』と呼ぶことにします。


本稿で、特集に関する私の意見を簡単に述べることにします。



 

「うまこな」と「反出生主義」は別物


この番組が「ABEMA NEWS」であり「反出生主義」の特集であることを示している、画面下部の帯に表示された文字列。

これを何と呼ぶのか知りませんが、いきなり「『生まれなければ良かった』反出生主義とは」というフェイクニュースの極みみたいな文字列が目に飛び込んできてびっくりしました!

せめて「『人を作ってはいけない』反出生主義とは」にすべきでしょう。

もちろん、適用対象をヒトに絞るのは種差別的で不当だという立場から見ればこれも不完全ですが、「生まれなければ良かった」と比べれば何千倍もマシです


この文字列の上で流れているイントロダクション・ビデオのようなものの内容も、予備知識なしに観る一般人をミスリードします。

制作者がこれを作って流すことになってしまった要因として最も重大なのは恐らく、反出生主義は「出産否定」と「誕生否定」に分けられるという森岡氏特有の(我々に言わせれば誤った)見方が、「大学教授の言うことだから」という理由でまるで正しいもの、あるいは最も正しそうなものであるかのように捉えられてしまう現状なのではないかと思います。

(種差別問題をいったん忘れてヒトの生殖だけを考慮するならば)「ヒトを作ってはならない」とする倫理学上の立場が反出生主義です。

しかし、どうやら制作者は「生まれてこなければ良かった」(うまこな)という個人的な嘆きと「反出生主義」という立場を同一のものだと勘違いし、それを誰にも指摘してもらえないまま、偏見を助長するイントロビデオを作ってしまったようです。

2:18の「自分自身の存在だけでなく、出産自体を否定する当事者も」というセリフがこの思い込みをはっきり示しています。

0:38で「今いるヒトに自死を促すものではありません」という注釈がきちんと付くのならば、「反出生主義は『うまこな』ではない」という注も同様に付かねばなりません。


卑劣な構成

「反出生主義はトラウマ経験者が持つ『うまこな』思想」という誤った知識を得たうえで、この番組を使ってそれを広めることにした制作側の意識的な判断は、反出生主義者である私から見れば、上に挙げた純粋な勘違い(と、今は気前よく捉えておましょう)よりもずっとタチが悪いもののように感じられます。

ABEMAはわざわざ個人が反出生主義を支持することになったきっかけ(支持する理由ではなく支持するようになったきっかけ)を反出生主義者に訊いて、その個人が(苦感能力を持つ者として当然するように)人生の中で何らかの苦痛を経験したという発言を引き出し、「見て見て! この人たち、辛い思いをしてこんな過激っぽい思想を持つようになったんだよ!」という番組を作ることにしたのです。

「生殖は個人の自由」「少子化は止まらなければならない」という自分たちの立場を相対化できないまま、反出生主義の正否を論じる公平な議論の場を設けるふりをして、実は反出生主義者のスターティンググリッドにだけイントロビデオの効果でオイルが撒かれている出来レースをスタートしようとしたというのが、故意か否かにかかわらずABEMAのしたことです。

多くの人々はこの番組を観て初めて「反出生主義」という言葉を知ります。

そのような人々が反出生主義に対して持つ第一印象とその後の思考を大きく影響し得る番組の制作者として、このイントロビデオを見せてからスタジオでの議論に入ろうとしたのは卑劣な選択だったと言わねばなりません。


反出生主義の概説を求められた際にビデオの問題を指摘する機会を逃さなかった森岡氏には拍手を贈ります👏

(6:43)あのビデオを予備知識なしに観ると、「反出生主義」という考え方を持っている人は家庭に問題があった人だとか、悲惨な事故や災害を経験したからなったんだっていう風に思っちゃう方がいるかも知れませんけど、私はそういう風に誘導するのには反対なんです
そういうことが全然なくても、ふとそういう考え方を思いついて正しいと思うだとか、理詰めに考えてこういう考えに至った方も確かにいらっしゃる

制作側の卑劣な態度は、この場面に特に如実に現れています(12:49)。

田中氏が反出生主義を支持するようになった経緯が明かされた後、氏に「そういう経験がなければ反出生主義を支持しなかったと思いますか?」という問いが投げかけられました。

氏が『そうかも』と答えることが明らかに想定されており、実際に氏はそう答えました。

その直後に、森岡氏の見方で反出生主義の「出産否定」にあたる部分の例、すなわち本来の反出生主義者が支持し得る考えの例がスライドとともに示され、その内容を田中氏ではなく司会が読み上げることで、「精神科病棟で働き、風俗業界を経験し、発達障害で生きづらさを抱えた特別悪い人生を送っている人が、そのような経験がなければ持たなかったであろう『子供を産むな』『99人幸せでも1人だけ不幸なら全員生まれちゃダメ』『人類は滅亡しろ』という過激思想を持つようになった! この思想は正しい? 正しそうには思えないね!」というストーリーを視聴者に伝えようとしています。


それに続いてパックン氏が投げかけた反出生主義への反論に対して、森岡氏は反出生主義者の立場を公正にとてもよく擁護したように見えました。

しかし視聴者は、番組が始まってからそれまでの時点で散々「反出生主義は負け組が持つ過激思想」と刷り込まれてきましたから、視聴者の大部分が森岡氏のコメントを(感情ではなく)理性で処理する気になれなかったとしても驚きません。


不正確な画面上のコンテンツ

スタジオで話している出演者をワイプに入れて、画面中央に大きくプレゼンテーション・スライドのようなものが表示されることが度々ありましたが、その内2枚の内容に誤りが見られました。


これが誤りであることは最初に言った通りです。

これが「反出生主義と何らかの関連を持つ思想の歴史」として紹介されたならば、不適切とは言えても不正確とは言えなかったと思いますが、当然「反出生主義=誕生否定+出産否定」という森岡氏の見方に基づいて「反出生主義の歴史」として紹介されてしまいました。


反出生主義者を暴力的に「代弁」する司会

これは制作者や各出演者の意見の正誤には関係ない全く個人的な感想です。

反出生主義を支持するようになった経緯を訊かれた田中氏がその問いに答えた後、司会がスライドの内容に沿ってその答えをリフレーズした場面は非常に不快でした。

YouTube 版ではカットされているので、Abema のノーカット版を14:57辺りから観る必要があります。

「反出生主義はメンヘラ思想、という印象を視聴者に与えるためのセリフを言ってくれてありがとう、でもちょっと不完全だったから言い直すね」という態度が(そういう意図があったかどうかにかかわらず)丸見えです


「反出生主義者」の責任

ABEMAがこういう番組をこういうやり方で作ってしまったことは、インターネットで「反出生主義者」を名乗る人々が反出生主義にどういう印象を持たせているかを見れば当然のように思われます。

黒ベースに白や赤の文字で悲観主義的思想家の名言を載せた画像をツイートしているような人々が唱える思想なら、こういう扱われ方をすることに驚きはありません。

イメージ戦略が上手くいっていないと言うか、戦略がないんですよね、多分。

その一助になればと思って我々は「無生殖主義」という新語を使って無生殖協会を立ち上げましたが、自分で作った新語の壁が既存の反出生主義者へのアウトリーチを妨げている感じが否めません。

さてどうしたものか。

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