寄稿者
穂積浅葱(ほづみ・あさぎ)
会員番号:2
正会員
2021年に無生殖協会を共同設立し、以来代表を務める。
功利主義に懐疑的な立場を取り、リチャード・D・ライダー氏の「苦痛主義」(painism)により大きな正当性を見出す。
好きなレーシングドライバーはF1のオスカー・ピアストリ。
前回のコラムでは、無生殖主義者(※1)が無生殖主義の支持拡大を妨げないように表現活動をする方法について、私の考えを紹介しました。
しかし、多くの無生殖主義者が、不適切な表現活動が引き起こす問題の存在にすら気付かないままインターネット上で表現活動を続けています。
※我々無生殖協会は「反出生主義」という語が起こし得る問題を避けるために「無生殖主義」という語を代用する立場をとりますので、ここからは「反出生主義」を「無生殖主義」、「反出生主義者」を「無生殖主義者」と表記することにします。
この問題意識をどう無生殖主義者に共有すればよいのでしょうか。
人々が無生殖主義者になった途端に「こういう表現行為は支持拡大を妨げる可能性があるので注意しましょう」という手紙が市役所から届くような仕組みがあればいいのですが、残念ながら現実はそうはいきません。
恐らく現実的なのは、ある人が「反出生主義」という語を知れば無生殖協会の名前も同時に知ることになるくらいに本会が知名度を上げ、ウェブサイトやソーシャルメディアに共有するコンテンツでこの問題意識を共有することです。
そもそも綱領によれば、無生殖主義に対する偏見の解消は無生殖協会設立の目的の一つであったはずですから、それを果たすために知名度を上げるのは当然本会の目標の一つであるべきなのです。
しかし、前回のブログポストの最後で述べたように、私にはどうにもこの「無生殖主義」という新語が既存の「反出生主義者」と我々との間に壁を作って、アウトリーチを妨げているような気がしてなりません。
「(日本語話者の)反出生主義者の団体があったほうがいいんじゃないの」というようなツイートに「無生殖協会というのがあるんですよ」というリプがつく景色を、ここ数年で何度か見てきました。
そろそろ無生殖主義という語を「反生殖主義」で置き換え、本会の名称をそれに対応するものに変更することを検討すべき時なのでしょうか。
無生殖協会のウェブサイトによれば(なんて私が言うのはちょっと妙ですね、サイトのコンテンツのほぼ全てが私の書いたものなのですから)、無生殖主義という新語を「反出生主義」の別名として提唱した理由は3つあります。
もし無生殖協会が「無生殖主義」を捨てて反生殖主義に乗り換えるのならば、最初の2つ(種差別的な定義の広がりと「誕生否定」による浸食)は簡単にクリアできるでしょうけれども、3つ目の「『反』という字の悪印象」が問題になりそうです。
いかに反出生主義が正しいものであろうとも、名前が作り出す印象で「何となくカルト宗教っぽい」「過激なテロ思想っぽい」と思われてしまっては支持は広がらず、目的は達成できません。一部の反出生主義者は、「反」という字が生み出すこのようなネガティブな印象を憂い、新語の必要性を訴えます。「無生殖主義」という語は、そのような反出生主義者が危惧する事態を回避するのに役立つ可能性があります。
これをクリアするには、
「反」という字に関わる問題を、無視していい些末なものと見なすか、
「反生殖主義」という語を使うことの利益は、「反」という字が生み出すネガティブな印象という不利益を上回ると考えるか、または
反生殖主義という語を使う時には、その最初の1文字のために持たれ得る悪印象を直ちに払拭できる方法で行う
必要があります。
一つずつ考えてみましょう。
「反」という字に関わる問題を、無視していい些末なものと見なす
無生殖協会がその名で設立された大きな理由の一つを「勘違いでした」と言うのは無理がある。
人々が「反」で始まる立場に悪印象を持つかどうかは、結局のところ「反」の後ろに何が来るかで決まっている;差別主義は誤りだと広く合意されている今日、大多数の人々が反差別主義という語に悪印象を持つとは考えにくいし、逆に出生奨励主義が支配的な地位を占める今、「反出生主義」「反生殖主義」に多くの人々が悪印象を持つことは当然であろう。
「反生殖主義」という語を使うことの利益は、「反」という字が生み出すネガティブな印象という不利益を上回ると考える
無生殖主義という名前にこだわり続けて知名度を上げられない(=既存の反出生主義者からの支持どころか認知すら得られない)よりは、反生殖主義という名を使うことで、(『反』という文字のせいでネガティブな第一印象を持たれるリスクを多少冒しながらでも)反出生主義者と本会との間に橋を架けて問題意識を共有するほうが、結果的に支持拡大を速めることができるのではないか。三人寄れば文殊の知恵。
反生殖主義という語を使う時には、その最初の1文字のために持たれ得る悪印象を直ちに払拭できる方法で行う
私には、明らかに効果的と思われる方法は思いつかない。イメージ戦略の一環として無生殖協会のヴィジュアル・アイデンティティーをペールピンク/黄緑ベースのものにしたが、それが人々から「反」という文字を理解する力を奪うわけではない。
今のところ、私には2の「『反生殖主義』という語を使うことの利益は、『反』という字が生み出すネガティブな印象という不利益を上回ると考える」は無生殖主義から反生殖主義への乗り換えを擁護する議論として十分であるように思われます。
もしかすると、無生殖主義のイメージ戦略に関する危機意識が特別強い(そうでなければこのコラムを書いていないはず)今だからそう思うのかも知れません。
少し時間をおいて、それでもまだ私の意見が変わっていなければ、他の会員の皆さんを交えて本格的に議論する価値があるかも知れません。